第十二章 俺×五郎 判断
第12章 俺×五郎 判断
冬季山岳実習当日。
勇登が空を見上げると、青空を背景に小型機がモクモクと煙を出しながら、ゆらゆらと飛んでいるのが見えた。それはそのまま、雪を被った木々の中に滑り込んだ。
「民間のビジネスジェットだな」
教官の正則は真顔でそういうとすぐに無線を手にした。
雪山での訓練も中盤に差し掛かった頃、勇登たちは民間機が山に墜落するのを目撃した。木と金属が擦れあいながら絡まるような、きいたことのない音がして、地面を伝ってきた衝撃が足元から脳天にかけて一気に抜けていった。
航空機が墜落する瞬間を直に見るのは、はじめての経験であった。
すぐさま教官たちは、短時間で極めて冷静に話し合った。訓練中止が決定し、雪山経験の多い教官が救助に向かい、教官の五郎と正則の引率で学生は下山することとなった。
教官たちは、そう遠くはないが積雪の状況から現場まで多少の時間を要すると判断していた。
ジョンが意見具申した。
「俺たちも行かせてください!」
勇登もいった。
「目の前で助けを求めている人がいるなら、助けたいです」
墜落を目の当たりにして、救助したい気持がこみ上げてきていた。
「ばかやろう!まだ状況判断できないやつが、感情だけでものをいうな」
正則が怒鳴った。
それを五郎が静止した。
「お前らの気持ちはわかる。だが、感情だけでは救助はできない」
教官のいうことは最もだった。勇登たちはまだ一人前には到底及ばない、無力な学生なのだ。学生がいれば教官は気を取られる。二次災害の危険性が高いのに出動するのは救難ではない。
勇登たち学生は、唇をかみしめながら下山の為に歩きはじめた。
*
「う……、うううぅ……」
下山途中、五郎は風の音に交じった人の声をきいた。
勇登とジョンが足を止めた。
どこからともなくきこえるうめき声を、ジョンが勝手に経路を外れて探し始めた。
それに勇登も続いた。
「おい!二人とも待て!」
五郎が静止した。
しかし、二人は止まらず意思を持った歩調で歩き出していた。
五郎は空を見た。
――雪雲が迫ってきている。
時間は無限ではない。
声は航空機が墜落した場所とは、全く別の方向からきこえている。
誰かが遭難している可能性はゼロではない。
手がかりがある今、捜索しなければ生存率が下がるのは確実だ。
今後吹雪になれば、全員で行くのはリスクが高い。
教官二人で行けば確実。
しかし、学生五人だけで下山させるわけにはいかない。
あらゆる困難と可能性が凝縮した現場で、正解は一つとは限らない。
しかし、状況は待ってはくれない。
現時点において最善といえる判断を下さねばならない。
五郎は正則に今後の指示を出すと、勇登とジョンを追った。
――すべての責任は俺が取る。そして、必ず全員で帰還する。
*
客のいない喫茶PJで、ナオは音消しされたテレビを見ていた。
たまにはニュースでも見て、最近の時事ネタを知っておくのも悪くない。それで、お客さんとの会話が盛り上がることもある。もう少ししたら混みはじめるから、今はリラックスタイムだ。
店のコーヒーに砂糖とミルクをたんまり入れた。ブラック派の常連客に見られたら怒られそうだ、と思いながらテレビの時計を見ると、ちょうど5時になった。
画面に本日のトップニュースのテロップが出た。
――民間の小型機、山中に墜落
その文字を見ただけで、心臓が一瞬止まり、父の顔が頭に浮かんだ。
ニュースが流れはじめる前に、チャンネルを変えようとして、手を止めた。そして、音量を上げた。
『本日午後4時過ぎ、岐阜県の山中で民間の小型機一機が墜落しました。現時点で事故の詳細は不明ですが、現場近くで訓練していた自衛隊の救難隊も救助に向かった、との情報が入っています――』
――勇登だ。
この間、最後に雪山での訓練が残っていると、大騒ぎしていたのをナオは思い出した。
心が、ザワザワする――。
*
勇登は6、7メートルの崖下で、スーツ姿の男性を発見した。
「要救助者発見!」
勇登は五郎に向かって叫んだ。
防寒着も着ずに寒々と横たわる姿を見た勇登の頭に、母の泣き顔が浮かんだ。
――この人を家に返さないと、この人の母さんが泣く。
勇登はもう一度崖下を覗き込んだ。二階建ての屋上より少し高いくらいか。
そう思った瞬間、足元の雪が崩れ落ちた。
――!?
直前に必死に掴んだ雪では、身体を支えることはできなかった。
が、勇登は宙に浮いていた。
見上げると五郎が勇登の左腕をしっかりと掴んでいた。
「そっちの手もよこせ!」
横からジョンがそういって、手を差し出した。
勇登は必死の表情で二人を見た。五郎とジョンは勇登を引き上げた。
それから、五郎はすぐに自分の考察結果を勇登とジョンに話しはじめた。
「要救助者の服装から、彼は墜落機の乗客であると判断する。墜落現場との位置関係から察するに、墜落後、意識があり何とか抜け出したが、雪で足を滑らせ山を転がり落ちてきた可能性が高い」
五郎は引き続き淡々と、勇登とジョンに救助計画を伝えた。
「これから崖下に降りて彼を救助した後、近くのピックアップポイントまで移動、そこでヘリの到着を待つ。すぐに準備を開始するぞ」
準備をしながら、勇登はジョンに小声でいった。
「さっきは、ありがとう。助かった」
「当然だろ」
ジョンはそういうと、勇登の背中を軽く叩いた。
準備を終えると五郎は二人を交互に見た。
「あの人を家族のもとへ帰す。そしてお前らも俺も家族のもとへ帰る。いいな!」
――俺と同じように、あの人にも家族がいる。
助けるのはこの人一人じゃない。
この人に繋がっている人たちも救うのだ。
勇登にはその意味が痛いほどわかった。
降下中、雪が降りはじめ、風が強くなった。勇登は背中の手形を思い出した。
――二度と泣かせはしない。だから、俺は死ねない。
勇登は慎重に崖をおりた。
*
民間機墜落事故の連絡を受けて、救難教育隊の整備小隊もバタバタとしていた。
亜希央が事務所に入るなり、外線電話が鳴った。
「はい。救難教育隊、整備小隊です」
亜希央は少しよそ行きの声色で、感じよくいった。
「あ、あの、……うちの子は無事でしょうか?」
受話器の向こうで、男性のおどおどした声がそういった。
亜希央は戸惑った。間違い電話なのか。
「ええと、どういったご用件でしょうか?」
「子どもが電話に出ないと母さ……いえ、妻がいうんです。い、いまニュースで訓練中の救難隊が救助に向かったといっていて、妻がうちの子もそういった訓練に参加することがあると……」
男性はよほど動揺しているのか、たどたどしく言葉を繋いだ。
隊員の親だ――。
ニュースを見て心配になったのだろう。
亜希央は冷静にきいた。
「お子さんの名前はなんですか?」
「浅井亜希央です」
「――!」
「男っぽい名前ですが、女の子です。……無事ですか?」
「…………オレは大丈夫だから。……恥ずかしいから、もう絶対に電話してこないで」
亜希央は震えた小声でぶっきらぼうにそういうと、電話を切った。
整備小隊長が「誰からだ?」と聞いてきたが、亜希央は顔も見ずに「間違い電話です!」と叫んで、ダッシュで部屋を出た。
ここ数年、実家には帰ってなかった。母とはメールや電話で話すことがあったが、父とは全然だった。大体、地上職の整備員が雪山の救助に行くわけがない。確かに母親には、訓練の手伝いをすることもあるといったけど、普通に考えたらわかりそうなことだ。
ちょっと電話に出なかっただけで、勘違いして職場に電話かけてくるとか、本当に恥ずかしい。
亜希央はふと歩調を緩めた。
――もしかして、普通じゃなかった?
それほど、心配していた――?
亜希央は再びダッシュして、頭を左右に振りながら女子トイレに入った。
でも、仮に、もしそうだとしたら……
――愛してくれてたのかな。
個室に入るなり、一気に涙が溢れ出た。
それならそれで、もっとわかりやすく愛してほしかった。あんな遠回しじゃなくて、弟にするようにわかりやすい愛情がずっと欲しかった。もう、ひとかけらの愛もないと思っていた。それなのに、あんな電話をかけてきて、ずるい。
人の苦労も知らないで、本当にずるい――。
亜希央は声を殺して泣いた。
トイレットペーパーを沢山使った。
泣いて泣いて泣きまくって、個室を出ると、猿のような顔の自分が鏡に映った。
こんなの泣いたってバレバレだ。
伸ばしかけの前髪では、隠すこともできない。冷たい水で顔を洗ったが、やっぱり猿のままだった。
「あのくそ親父。後で、絶対文句いってやる!」
亜希央はブツブツいいながら、真っ赤な顔のまま職場に戻った。
*
五郎隊は、無事崖下に到着した。
「大丈夫ですか!?航空自衛隊の者です。救助にきました」
勇登がそういうと、少し太めの男性は顔を覆っていた腕を外し、うっすらと目を開けた。額には艶があり、この雪の中でも血色がよさそうに見えた。年齢は40前後といったところか。
「どこか痛いところはありますか?」
「うぅ……」
男性はかろうじで意識のある状態だった。
勇登は男性の足元にしゃがんでいた五郎を見た。
――!!
勇登の心臓は、一度大きく跳ねた。
左膝から下が通常ではない方向を向いていた。
五郎は何ごともなかったように素早く男性の足に板を添わせた。自分たちが大騒ぎしたら、彼が不安になるだけだ。勇登は平静を装って、男性への声かけを続けた。
そして、男性を連れた五郎隊はピックアップポイントへの移動を開始した。
ピックアップポイント到着の頃には、日没を迎え辺りは真っ暗になっていた。
――蜘蛛の糸みたいだ。
ヘリからのダウンライトに照らされた、一本のワイヤーを見て勇登は思った。
雲の切れ間を縫って救難隊のUH60-Jが到着した。
未だ雲が多く天候は不安定だった。
「はじめに、要救助者と沢井だ」
五郎が端的にいった。
「俺は勇登の後で構いません」
ジョンはすぐにそういい返した。
「お前、本当は体調悪いだろ」
「!」
「顔に出てんだよ。いうとおりにしろ」
ジョンと担架に乗せられた男性が、ゆっくり吊り上げられていった。
風が強まると同時に、大量の雪が降りはじめた。雪雲がヘリの上を覆い始めた。
地上からロープで担架のバランスを取っていた五郎の表情が厳しさを増した。ヘリが大きく揺れ、吊られた二人も激しく揺れた。それに合わせて見守る勇登の顔も大きく揺れた。
一瞬風が止み、ヘリはバランスを取り戻し、二人は無事ヘリに収容された。
再びワイヤーが下ろされるはずだった。しかし、ヘリは大きなダウンウォッシュで、勇登たちを抑えつけると、そのまま飛び立ってしまった。
「――え?」
降りしきる雪の中、勇登は呆然と五郎を見た。
「天候が限界だ。ビバークするぞ」
五郎は再び装具を背負いながら、当然のことのように勇登にいった。
*
――皮肉だな。
いつも、あともう少しの時間を、神様はくれない――。
五郎は勇登を引きつれて、ビバークする場所に向かった。
いつも訓練で使っている山だったことが不幸中の幸いだった。
すぐ近くにいい場所がある。
――どうやら今回は学生じゃなくて、俺の試験らしい。
五郎は降りしきる雪の中を、確固たる足取りで進んだ。
第13章につづく
※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織、名称とは一切関係ありません。