第十三章 五郎×俺 残された仲間
第13章 五郎×俺 残された仲間
――寒い。
勇登は前を歩く五郎の背中を見ながら思った。しばらく待機せざるを得ない状況であるのは明白だった。
二人になった五郎隊は少し歩き、岩の斜面を利用して簡単な天幕を設営した。その中で、天候の回復を待つことになった。
五郎が小声で話しかけてきた。
「訓練は辛いか?」
「辛くありません」
「今は本心をいえ」
「……辛いです」
「そうだな。誰もただ辛いだけでは試練を乗り越えられない。その先に希望があるからこそだな。そろそろ、要救助者も病院に到着してるだろう」
「はい、ヘリに乗せられて本当に良かったです」
そういって笑った後、勇登は沈黙した。
他にも何か話そうと思ったが、教官と二人きりになったとき用の話題など準備していない。それに五郎は教官であるし、その中でもずば抜けたオーラを放っているから、これまで気軽に話すことなどなかった。
「……猫の名前、そのまま『こしろ』にしてくれたんですね」
「ああ、娘が気に入ってな」
勇登は気になっていたことを思い出した。
「あの、どうして俺の名前の由来、知ってたんですか?」
今度は五郎が沈黙した。
「……お前の父さん、あれは俺の救難員課程の同期だったんだ」
勇登は目を見開いて五郎を見た。
「あいつとは教育課程卒業後は、お互い別の基地で経験を積んでいた。俺が千歳にきて数年経ったころ、お前の父さんが千歳救難隊に配属になった。あいつお前の小学校の卒業文集を俺に見せてきてな、息子がメディックを目指してる、って本当に喜んでたんだぞ」
どうして父の遺品の中から自分の文集が出てきたのか、勇登ははじめて理解した。そんなに喜んでたなんて、全然知らなかった。
「表には出さなかったけど、俺たちはいっつも競い合ってた。ガキみたいにな。それが、楽しかったんだよ。俺がメディックを続けられたのは、あいつがいたからだと思う」
五郎は何かを懐かしむように笑った。そして、小さく息をついた。
「……あれは、俺たちが待機要員の日だった。雪山に怪我をした遭難者が二名取り残されるという事故が発生して、天候の悪さから千歳救難隊に出動要請がきた。飛べるギリギリの天候の中、俺たちは遭難者二人の救助にかかった。二人目を吊り上げているとき、天候が更に悪化した。俺たちクルーは地上にいたあいつ一人を置いて、現場から離れた。そう、ちょうど今日のような状況だ」
五郎は勇登の膝にポンと手を置いた。
「お前も知ってのとおり、そういう状況を想定して救助前に装具も投下していた。そのための訓練も何度もしていた。だからそのとき、俺は全然心配してなかったよ。あいつは俺なんかよりずっと優秀だったし、努力もしてた。でも、……あいつは帰ってこなかった」
そう、父は最後雪崩に飲み込まれてしまったのだ。
五郎はハッとしたかと思うと、しまったという顔をした。
「おおっと、今はこんな話をするときじゃなかったな。俺もまだまだだな」
「いえ、今きけてよかったです」
勇登は真っすぐに五郎を見ていった。
五郎は安心したように少し笑った。
「俺はあいつがいう『目の前で困ってる人がいたら、助けたいのが人間だ』って言葉が大好きだった。俺もそう思ってたからだ。これまでの訓練は、全部、今日のような日のためだ。救難魂を発揮して必ず帰還するぞ、いいな」
五郎はそう力強くいうと、勇登の頭をガシガシとなでた。
勇登は大きく頷いた。
――心のどこかで、父さんが死んだことが許せなかった。
父さんのせいで、母さんが泣くことになったのだと思ってしまうことがあった。
でも、それは大きな勘違いだった。
自然の猛威は俺たちを簡単に飲み込んで、雪が、風が、その音が、じんわりと体力と精神力を奪っていく。
今なら、父の気持ちがわかる。
父さんは頑張ったんだ。
父さんは一人で必死に戦ったんだ。
ごめん、俺は全然わかってなかったよ。
絶対に帰って母さんに伝えよう。
父さんはやり切ったんだって、伝えよう――。
*
太陽が昇りはじめた頃、天候が回復した。
五郎は透きとおった空気の向こうの青空を見ながら思った。
――最後まで油断はできない。
五郎は装具を背負うといった。
「ピックアップポイントに戻るぞ」
「はい!」
五郎隊は木々の密集する場所から、少し開けた場所に出た。昨日降り続いた雪で、まっ平らな雪の表面はキラキラと輝いていた。
勇登は無邪気に新雪にザクザクと足を踏み入れた。
コロコロと小さな雪玉が傾斜に沿って下に転がっていった。
――!?。
「志島、待て!」
五郎はとっさに背負っていた荷物を降ろすと、きょとんとした顔で振り返った勇登の腕を掴んだ。
――今こそ、俺の命を大きく削るとき!
五郎は勇登を自分の方へ引き寄せると、遠心力を最大限に使って元来た道の大きな木の根元に勇登を投げやった。そして、五郎はそのまま勇登の立っていた場所に倒れ込んた。
次の瞬間、まっしろな波が五郎を飲み込んだ。
「……曹長?熊野曹長!!」
叫びに似た勇登の声は、雪で洗われた斜面に空しく響いた。
――ああ、煙草がすいてぇ。
持ってない、その上、あったとしても雪の圧で手が動かない。
五郎は巻き込まれる直前、とっさに口の前に作った空洞に向かって叫んだ。
「おーい!」
しかし、こもった声が鼓膜に響いただけだった。
とりあえずの生存可能時間は、早くて10分といったところか。
全身雪に包まれながら、五郎は北海道時代の訓練を思い出していた。
あの頃は、よく訓練で埋められた。あいつが転属してきたときは、敬意を表して俺が埋めてやった。あいつにも俺を埋めさせてやった。それでも、お互いに絶対に弱音を吐かなかった。お前が吐かないなら俺も絶対に吐かない。ただそれだけだった。
雪崩に巻き込まれた日、お前はどんな気持ちでこの中にいたんだ?俺がお前を見つけたとき、お前はとても穏やかな顔をしてたよな。
――一体どうしたら、あんな顔でいられるんだ?
全くお前は、どこまでもできた奴だよ。
俺なんかはじめは余裕ぶっこいてたけど今急に怖くなって震えてきたよ。やっぱり、まだまだだな。器の差を見せつけられて、本当にムカつくよ。
そろそろ、10分になるか。
自分の手から跳ね返ってきた空気では、もう息苦しい。こんな状況になって改めて思う。お前のような同期と出会えた俺は本当に幸せ者だ。
――フフッ。
五郎は急に可笑しくなって一人笑った。
――なあ、お前、俺がもう死ぬかもしれないと思っただろ?
でもそれは違うな、俺は死なない。
なぜなら、今の俺には――
五郎の耳元にザクザクという音が近づいてきた。
「熊野曹長!」
五郎は見事に自分を掘り当てた勇登の潤んだ瞳を真っ直ぐに見た。
――おまえの残した仲間がいる。
*
「もう、大丈夫だ」
UH60-Jの機内に入るとフライトエンジニアが力強い声でそういい、勇登ははじめてホッとした。そして、五郎隊は無事雪山から帰還した。
勇登が基地に戻ると、先に山をおりた教官やほかの同期の元気な顔を見ることができた。
そして、勇登はその足で母のもとに向かった。五郎に顔を見せてこいと命令されたのだ。
由良は勇登を見ると、突然涙を流した。
「ごめん……」
勇登は父が死んだときの母の涙を思い出した。
「違う、これは嬉しくて泣いてるの」
由良はそういって涙を拭くと、精一杯笑った。
小型機の四名の乗員乗客は、機長と副操縦士が死亡、乗客二名が生きて救助された。生存者のうち一名は、勇登たちが救助した男性だった。
その後、実習は仕切り直しとなり、勇登たちは再び山に登ることとなった。
7枚目の写真撮影は、どこからか肉体成長記録写真のことが教官に漏れ、雪山で撮影することになった。寒空の下脱ぐ羽目になり、勇登は極めて寒い思いをした。しかし、寒さを感じられることが、生きていることを実感させてくれた。
そして、神社の御利益か、実力か、勇登たちは無事にすべての訓練を終了した。
24週間に及ぶ自分との戦いは、全員合格という形で終わりを告げた。
※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織、名称とは一切関係ありません。