第十一章 俺×雪山 願い
第11章 俺×雪山 願い
季節はめぐり年が明けたが、勇登の悩みは尽きなかった。
去年の2月に救難教育隊に着隊して、7月から本格的に救難員課程の訓練がはじまった。もうすぐ、ここに配属となってから丸1年となる。
残すところは、目前に迫った冬季山岳実習となる。この実習は最後の総合実習を兼ねているから、ここをクリアできれば、無事卒業となる。
冬季山岳実習ではスキーを使った訓練もある。勇登は母親と全国各地を転々としてきたが、スキーをする機会にほとんど恵まれなかった。それ故、他のスポーツには自信があったが、スキーだけはいまいちであった。
ジョンは青森出身な上、ここにくる前は三沢基地にいたので雪には慣れていた。小学校の頃から授業でスキーをしていたから、板が体の一部だと自慢していた。
勇登は実家のソファーでごろごろしながら、雑誌を読んでいる由良にきいた。
「なあ、目の前にでっかい壁があったら、どう乗り越える?」
「乗り越える?そんなの効率悪いわ。バズーカでぶち破って、気合で前進あるのみ!」
――聞く人間を間違えた。
彼女は日に日に野生化している。自分の名前を考えたのが父親で本当に良かった、と勇登は思った。
勇登は天井を見ながら「雪山に連れて行って欲しかった」と文句をいった。当然「勝手なこといってんじゃない」と首を絞められると思っていたが、彼女は違う反応をした。
「あたしは雪が嫌いなの」
由良はいつになく寂しそうな表情をした。
勇登はしまったと思い、ソファーから起き上がった。父は雪山で殉職したのだ。悪天候での救助活動後、雪崩に巻き込まれたと勇登はきいていた。忘れていたわけではなかったが、うっかりしていた。父のことを思い出させてしまった。
勇登が焦って謝ると、由良が無表情でいった。
「背中だしな」
「は?なんで?」
「いいから、だしな」
由良は急に背中を出せと強要した。罪悪感から勇登はシャツをめくった。
――パアーン!
「いっってーっ!」
由良が思い切り勇登の背中を叩いた。
「カメラ」
「は?」
「早くカメラ」
痛がる暇も与えず由良はそういった。
彼女は勇登の携帯で背中についた赤い手形を撮影した。
「辛くなったらこれを見て、あたしを思い出しな」
「なんで母親なんかを……」
嫌そうな顔をする勇登を、由良は簡単に締め上げると「雪山でくじけたらこうだよ!」といった。
志島家は、どんなに鍛えても母には勝てない、完全なる恐怖政治体制だ。それでも、勇登が嫌な気分になることはなかった。父も「女性が笑顔でいる家庭っていうのは、幸せな家庭なんだよ」といって母とのやり取りを楽しんでいた。
――だから、勇登も母さんを泣かすなよ。
勇登は手形の写真を見て、そういった父を思い出していた。
*
「近くにすごくいい神社があるから、みんなで行こう」
冬季山岳実習を控えた週末、突然剣山が提案した。
基地前の駅から単線の電車に男五人で乗り込むと、座席の女子高生が、ガタイのいい男が揃って一体どこへいくのだろう、という目で勇登たちを見た。
「そういえば、こしろ、熊野家に引き取られることになったんですね」
勇登は隣にいた剣山に話しかけた。
五郎はこちらに家を建てていて、そこで家族と暮らしていた。
「ああ、なんでも家に連れ帰ったら、娘さんが大喜びしたらしくてな。もうどこへもやれなくなった、って。最初から最後まで世話になりっぱなしだよ」
「でも、よかったですね」
「ああ、ほんとに」
剣山は満面の笑みを見せた。
田縣神社の鳥居をくぐると、剣山と勇登以外は全員ポカンとした。
「すっげー」
吉海がニヤニヤしながら叫んだ。『小牧のことはなんでもきけ』といっていた割に、ここは知らなかったようだ。
その神社の御神体は、男性を象徴するものだった。木製の巨大なご神体が堂々と祀られている。勇登は神社の名前を聞いた時点でわかっていた、ここいらでは有名だ。
剣山は「いやー、昔ここでお参りしたら彼女ができたんだよ。それが今の嫁さんなんだ」と照れ臭そうにいった。
なんか想像してたのと違う、という感じではあったが吉海が大はしゃぎしているのでみんなで折角の機会を楽しんだ。
宗次は何を思ったのか突然「俺、検定合格したら告白する」といい出した。勇登が「俺も」というと、宗次は「誰に、誰に?」としつこく詮索してきた。
風で絵馬同士がぶつかってカラカラ鳴る。
その心地よい音色が天に昇って、願いを叶えてくれる気がした。
*
五郎は、冬季山岳実習の準備を終えると、いつもの喫煙所にやってきた。
煙草の箱をトントンと叩いて、一本取り出すと、ライターで火をつけた。五郎はちりちりと燃えて煙草が短くなっていくさまをぼんやり見た。
――どうして、俺じゃなくてあいつだったんだろう。
あの日俺が下に残れば、今ここで教官をしているのはあいつだったかもしれない。
最近は、生きる、とは命を削ることなのだと思うようになった。毎日命を少しずつ削って、それをエネルギーにして生きる。普段は小さく削って、ここぞというときは大きく削る。そして、最後は削る命がなくなって人は死んでしまうのだと思う。
もし、同じ命を削るのだとしたら、自分は毎日何をするのか。
そう思ったとき、この仕事は俺にいちばんしっくりくる。
というか今の自分にはこれ以外考えられない。
五郎は手に持っていた、使い込まれたいぶし銀色の航空士徽章を月明りに向かって透かした。
この徽章をつけた時点で、自分の死に対する覚悟はできていた。誰に強要されたでもやらされたでもない、自分で望んでこれを取りに行った。
でも、同僚の死に対する覚悟はできてなかった――。
――明日、雪山に行ってくる。
いよいよ最後の実習がはじまる。課程教育も大詰めといっていいだろう。
――帰ったら、また報告するよ。
五郎は、航空士徽章を再びハンカチに包むと、喫煙所を後にした。
※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織、名称とは一切関係ありません。