第六章 ナオ×美夏 セラピスト
第6章 ナオ×美夏 セラピスト
待ちに待った夏季休暇がやってきた。
訓練終了後、皆がいそいそと帰省支度をするのを、勇登はベッドの上に座って見ていた。
同期で唯一の妻子持ちの剣山は、ここに来てからずっと家族に会いたがっていた。卒業して次の赴任先が決まったら、また家族と暮らす予定だと話してくれた。そして、一番に居室を出て家族のもとへ帰っていった。
吉海はどうやら同じ基地内の第5術科学校の英語村に彼女がいるらしく、その子と過ごすといって上機嫌だった。
ジョンは行動計画書では実家に帰るとなっていたが、ベッドの上でゴロゴロしていた。
宗次は明日の飛行機で福岡に帰るというので、勇登は自分の実家に一晩泊まることを提案していた。やはり宗次も基地内ではリフレッシュできないのか、喜んでその話に乗った。
勇登は誰もいない家のドアを開けた。猫のニャーは勇登が入隊してからは母、由良と暮らしている。由良は休暇が合わず今回は帰らないといっていた。
勇登は宗次をリビングに通すと、適当に座るようにいった。
宗次はリビングの隣の畳の部屋にある仏壇に気がついて、手を合わせたいといった。宗次は父の遺影をじっと見ていたが、勇登はただ「父親の写真だ」といった。
その後、勇登と宗次は早速コンビニで調達したさきいかとビールを開けて乾杯した。宗次は期別的には勇登の先輩だが、同い年ということもあり、この数カ月で本当に仲良くなっていた。二人で訓練、同期、教官の話、これまであったこと、だらだらとそんな話をして夜遅くまで盛り上がった。
翌朝、宗次を送り出そうと勇登が玄関で準備していると、チャイムが鳴った。誰かと思いながら扉を開けて、勇登は面食らった。
「おはよう」
そこには満面の笑みを浮かべた飯塚美夏が立っていた。
*
小学校の同級生であった美夏は、クラス会の翌年航空学生に受かっていた。現在は戦闘機パイロット目指して、浜松で教育を受けている。
勇登は入隊後、偶然入間で会ったことがあったが、時間がなくて少し話しただけだった。
宗次は勇登を散々疑いの眼差しで見ながらも、飛行機の時間があるので実家に帰っていった。
勇登は何事もなかったふうに、美夏をリビングのソファーに案内したものの、内心は驚いていた。
美夏はこんなキャラじゃなかったはずだ。家に来るとなれば、きっと何日か前に連絡をよこすはずだし、急遽用事ができたとしても、事前に連絡してくるはずだ。そういうところは、きっちりしている子だ。
それに、不自然に明るいところが一番気になる。
勇登はこの後、自主訓練しつつも久しぶりに一人になった解放感を味わいながらのんびり過ごす予定だった。
入校していると、24時間毎日同期と同じ空間で過ごすことになる。住む場所も仕事も同じ、休日であっても帰ってくるところは一緒。慣れてはいたが、たまには一人になりたいものなのだ。そして、夕飯はナオのところで済まそうと思っていた。
勇登はペットボトルのウーロン茶をにこにこ笑顔の美夏に渡しながらいった。
「久しぶりだな。そっちも休暇か?」
「うん」
「浜松の実家には帰らないの?」
「志島君と同じで、週末いつでも帰れるから」
「なんか、名古屋に用事でもあったのか?」
「ううん、ないよ」
「小牧基地に知り合いでもいるの?」
「ううん、いないよ」
「なんにもないのに、来たの?」
「なんだか、尋問されてるみたい。理由がないと来ちゃ駄目なの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「じゃあ、志島君に会いたくてきた、っていうのは?」
「――!」
そんな風にいわれて悪い気分になる男はいない。
美夏は初恋の子でもある。だが、なにかおかしい。
真面目という言葉を絵にしろといわれたら、自分はきっと美夏の姿を描くだろう。それくらい、彼女はしっかりしてる。無計画に行動するなんてかなり怪しい。
――まさか、脱柵!?
脱柵とは、隊員が外出等の許可を得ないまま、基地を抜け出すことだ。そんなことをすれば、処分は免れない。
勇登が黙ってしまうと、美夏はすくっと立ち上がった。
「じゃあ、帰るね」
美夏の顔からは、先ほどまでの笑顔が消えていた。
「待て、待て、待て」
勇登は玄関に行こうとする美夏の腕を引いた。
このまま彼女を帰してはいけない気がした。
もう一度ソファにすわらせると、今度は質問攻めにならないようにゆっくり話をきいた。
*
――カラン、カラン。
店のドアが勢いよく開いて、ナオの勇登センサーはすぐに反応した。週末から夏季休暇に入るという情報は既に得ていたから、レバーの準備もバッチリだった。
ナオが笑顔で出迎えると、勇登は目の前で手を合わせた。
「ナオ、今晩一晩、泊めてくれ」
「え?な、な、な、なんで?勇登を?」
ナオは瞬時に赤くなった。想定外過ぎる言葉だ。
「いや、俺じゃなくて」
勇登は続いて店に入ってきた女性に目をやった。
10人にきいたら間違いなく9人は美人と断言するようなきれいな子だ。
「……どなた?」
ナオは舞い上がってしまった声のトーンを下げてそういうと、首をかしげた。
「ほら、昔クラス会で会ったっていった、浜松の同級生」
ナオはすぐに思い当たった。確か戦闘機のパイロットを目指している子だ。
ナオは勇登のシャツを掴んで引き寄せると、小声でいった。
「それはわかったけど、なんで私が?」
勇登は更に小さい声になっていった。
「ほら、何か落ち込んでてさ、浜松には帰りたくないっていうし、泊まるところも決まってないって、ほっとくわけにいかないだろ。だからって、俺の実家に泊めるのも問題だろ」
「私が泊めるのは問題ないわけ?」
「ま、そういうなよ、な?な?」
勇登に押し切られ、ナオはしぶしぶ彼女を泊めることにした。
*
ナオは勇登に水も食事も与えずに追い返した。
――勇登のやつ、今度来たらこっそりレバーに激辛を仕込んでやる。
ナオは美夏を店の裏の住居部分にあげた。
「ええと……」
「飯塚美夏です。ナオさん今日はありがとうこざいます」
美夏は深々と頭を下げた。
あまりに謙虚で礼儀正しい姿に、ナオは断ろうとしていた自分に罰の悪さを感じた。
ナオは美夏を茶の間に案内するといった。
「古い家でごめんね。あと、空いてる部屋ここしかないの。後で布団持ってくるから、ここでいい?」
美夏はちゃぶ台の前に座ると、部屋の隅にある仏壇をじっと見た。
「ああ、ごめんね。人んちの仏壇なんて、ちょっと怖いよね」
「いえ、大丈夫です」
「その写真は、じいちゃんと父さんよ」
ナオは美夏が怖くないように、仏壇の写真の説明をした。
「お父さん着てる服って……」
「ああ、民間機のパイロットだったの。でも、飛行機が墜落して……ね」
「……ごめんなさい、余計なこときいて」
「ああ、いいの、いいの。こんな話しても、暗くなるだけだから、勇登にもいったことないんだ。だから、やめ、やめー!」
ナオは努めて明るく「店からコーヒー持ってくるね」というと、部屋を離れた。
*
その夜。
美夏が風呂からあがると、氷水が用意されていた。
「そういえば、パイロット目指してるんだよね。さっきは墜落とかいってごめんね」
美夏はナオがそんなことまで気にしてくれたのかと驚いた。
勇登に連れられてここに来たときは、歓迎されてない気がして少し怖かったが、本当は優し人なんだ、と美夏は思った。
「いえ、大丈夫です。小学生の頃私が、墜落が怖い、っていったら志島君が、俺が助ける、っていってくれたんです。だから、今はそんなに心配してないです」
「あいつそんなこといったんだ」
ナオは少し口を尖らせた。
「ねえ、敬語やめない?勇登の同級生ってことは、同い年でしょ」
「はい。あ、うん」
美夏ははにかむと、氷水を一口飲んだ。
「それで、さっき勇登からちょっときいたけど、美夏は今スランプなんだって?だいたいなんで戦闘機パイロット目指してるの?」
「私、子どもの頃からずっと戦闘機が好きでね、はじめは飛行機を見てるだけで楽しかったんだけど、そのうち、それで空を飛んでみたいって思うようになったの」
「ふーん、夢が叶ってよかったじゃん」
「そうなんだけど、どうしてもなりたくてなったのに、訓練も厳しいし最近はずっと失敗続きで、教官にも散々いわれて、なんか急に嫌になっちゃったの。はじめは絶対飛んでやるって思ってたのに、全然飛びたくなくなっちゃって……。そしたら今度は、好きではじめたくせに、そんなこと思ってる自分まで嫌いになってきたの」
「なるほど、わかるわー。私も自分で決めてこの仕事してるけど、たまに嫌な客がいればむかつくし、そんな小さなことにイライラする自分が嫌いだわ。あ、やってる内容が全然違うから、比べちゃダメか」
ナオは表情をくるくる変えながらそういうと、最後に舌を出した。
「ナオちゃんって、なんかかわいいね」
ナオは少し赤くなると、再び口を開いた。
「勇登もよく教官が怖いっていってるけど、美夏は『こんにゃろ~』とか思うことないの?」
「えぇっ、だって私が悪いからいわれてるのに、そんなこと思えないよ。私がちゃんとできれば、教官だって怒らずに済むんだし……」
「美夏は全部自分で抱え込んじゃうんだね。時々本当の気持ち吐き出さないと、いつか全然関係ないところで爆発しちゃうよー」
ナオは頭の上に伸ばした両手を大きく左右に開くと、ドカーンといって笑った。
「きっと美夏は真面目なんだね。あ、悪い意味じゃなく。私は訓練の大変さとかよくわからないけど、美夏が最初に思った空を飛びたいって純粋な気持ちまで否定しちゃったら勿体ないと思う。そこだけは大切にしてあげなよ」
それからナオはとことん美夏の話をきいてくれた。
そして突然「ストレス発散しよう!」といって座布団を二枚持ってきた。ナオは座布団を二つに折ると「こうやるの」と美夏にいった。
「勇登のバカヤロー!」
ナオはそう叫びながら、思い切りパンチした。座布団は、ぼふっといい音を出した。
「さあ、次は美夏の番よ!」
美夏は目を見開いて両手を振って抵抗したが、ナオに促されて結局やる羽目になった。
「ば、ばかやろ」
「声が小さいよ!さあ、ムカつくあいつを思い浮かべて、もう一回!」
渋々やる美夏に、ナオが喝を入れた。
「きょ、教官のバカヤローー!」
強烈なストレートが座布団に決まった。
美夏とナオは顔を見合わせると、大声で笑った。
その後も二人で、座布団と格闘しては笑う、というのを繰り返した。
美夏はどうして、勇登がこの喫茶店に自分を連れてきてくれたのか、何となくわかった気がした。
――自然な自分でいられるんだ。
ナオと話しているとほっとした。
ここでは精神論も根性論も学生パイロットらしくある必要もない。
これまでは他人を悪くいうのが怖かった。嫌われるのが怖くて嫌なことは、全部自分が飲み込んだ。どこへも吐き出せず、ずっと自分の中に溜め込んだ。
あんなことしたのははじめてだったけど、こんな自分もありかなと思えた。
ナオはありのままの自分を受け止めてくれる。
叱られてばかりで、自分を見失いかけていた。
だから、それが嬉しかった。
*
翌日。
ナオは勇登に電話した。ナオは昨晩の『志島勇登について語る会(主に悪口)』が気に入ったらしく、美夏はしばらく泊めてもらえることになったからだ。
「勇登のやつ、たまに電話でなかったりするんだよね」
ナオは、またか、という顔をしていった。
「電話に気づかないなんて、ありえないわ」
「そうなの?」
「自衛官は基本24時間勤務なの。呼集がかかれば、即呼ばれるの。だから、着信には敏感なのよ」
勇登とナオの関係がなんだか悔しくて、美夏は少し意地悪っぽくいった。
*
休暇最終日。
美夏はナオの家を出る際、先輩の眠る仏壇にもう一度手を合わせた。
これからも、ナオちゃんをお守りください――。
きっと今後も訓練の厳しさは変わらないだろう。
しかし、思い切り話ができて、心はすっきりしていた。自分の中でずっとドロドロしていた何かが、減っているのがわかった。
解決策などいらない。
ただ、話をきいてもらえただけでこんなにも心が軽くなった。
勇登は走って美夏を迎えにきてくれた。時間があったから、喫茶PJ近くの公園で少し話した。
いつも飛んでる空は、橙色に染まっている。
――やっぱり、飛びたい。
「どうして夕焼けって、こんなにきれいに見えるんだろ」
美夏は素直に感じたことをいった。
「それはお前の気分がいいからじゃない。俺も今だけはきれいに見える。また訓練始まったら、わからんけど」
休暇の後、心が折れたまま戻ってこない人もたまにいる。
休暇前は、今回自分がそうなってしまうのでは、と思っていた。
でも、救われた。
「本当は底抜けに挫けてたんだ。きてよかった。ありがとう」
美夏はそういうと、軽い足取りで浜松基地への帰路についた。
※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織、名称とは一切関係ありません。