「りょうかを連れて東京に行く」
と突然母が言い出した。
私が小学生の低学年の頃の話だ。
事の発端は不明であるが、ある日私が居間に行くと、母がそんなことを言っているという家族の会話が耳に飛び込んできた。
母の発言に家族はただ困惑していた。片田舎からまだ幼い子を連れて二人で東京で暮らすと唐突にいうのだから、それはそうだろう。
母はその場におらず、2階の部屋にいるようだった。
私はそっと二階に続く階段をのぼった。
和室の引き戸は開いていた。
部屋の奥を向いてキッチリと正座した母の後ろ姿が見えた。その脇には小さな小さなボストンバックがあった。服装は今にもでかけられる格好だったと思う。
私が呼びかけるのが先だったか、母が気がつくのが先だったか、母が振り返った。
私は母とひとつふたつ何かを話した。
でも、内容も母の表情もほとんど覚えていない。
ただただ、どうしたらいいのかわからない私がそこにいた。
☆
あれから数十年経った今も、ふとした瞬間あの時のことを思い出す。
結局、母が私を連れて東京に行くことはなかった。
母は若いころ東京で働きたかったようだ。しかし、母は家を出してもらうことができなかった。
今では考えられないが、それが普通な時代があったのだ。
大人になった今思えば、母のその想いが、あの日溢れだしたのだと思う。
私の母は表情があまりない。私が小学生の頃、血液型占いが流行った。
「B型はお祭りBと、葬式Bがいる」と友だちが言うのをきいた時、
『私のお母さんは葬式Bだ』と、真っ先に思った。
あの日からずっと、私のどこかに、母を東京に行かせてあげたい、という想いがある気がする
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