第1章 俺×由良 夢のカケラ
志島勇登(しじまゆうと)は額の汗を手の甲で拭いながら、喫茶PJ(ピージェイ)のガラス扉を思い切り押した。
ドアに取り付けられている真鍮色のベルが、カランカランと派手に鳴った。店内に入るとすぐに、ほろ苦いコーヒーの香りに包まれた。カウンター席が5席、テーブルが2卓ある小さな喫茶店。
「また走ってきたの?」
Tシャツにハーフパンツ姿の勇登を見た城嶋ナオ(じょうしまなお)は、カウンター越しに呆れ顔でいった。そんなナオに勇登は構わず、軽い足取りでいつもの席についた。カウンターの一番奥の壁際が指定席だ。
ナオは勇登の高校の同級生で、航空自衛隊小牧基地近くにある家族経営の喫茶店の娘だ。ついこの間、勇登と同じ高校を卒業して、4月からは調理の専門学校に通うことになっている。
明るく人好きな性格で、実家の喫茶店を手伝っている。茶色のシュシュで緩く纏められた黒髪が、どこか昭和を感じさせる店の雰囲気に合っている。
ナオは勇登が腰掛けると同時に、キンキンに冷えた氷水を出した。
「ありがと」
勇登はナオの目を見て笑った。
一方の勇登は、中学校進学時に、母の小牧基地への転属が決まり、祖父母が遺した小牧市内の母の実家に住みはじめた。
高校進学時には、母は岐阜基地に転属となったが、小牧基地と岐阜基地の距離は20キロ程度離れているだけだったから、母はそのまま実家から通勤した。おかげで勇登は、引っ越しから解放され、中学・高校時代を小牧で過ごすことができた。
勇登は水を一気に飲みほすと、アイスコーヒーを頼んだ。
「ところで勇登、ちゃんと勉強してるの?」
ナオはグラスに氷を入れながらいった。
「まあ、ぼちぼちな」
勇登は頭上で何となく流れているテレビを見ながら、上の空で答えた。
「受験でいろいろあって大変だったのはわかるけど、気分切り替えなきゃね」
「……そうだな」
勇登は、テレビから目を離すことなくしかめっ面で答えた。高校卒業後は大学に進学する予定だった。
しかし、インフルエンザや盲腸の緊急入院が、ことごとく試験日と重なり大学受験に失敗した。挑戦することも許されなかったなんて、運が悪かったとしかいえなかった。そして、母は勇登の高校卒業と同時に再び転属してしまい、勇登はひとり小牧で浪人生活を送ることとなった。
「前から思ってたんだけど、勇登、大学入ってなにするの?」
「……何するって、みんなそうしてるし」
「自分の目標とかってないの?」
ナオはアイスコーヒーを勇登の前に出した。
「……さあ」
「なんか、他人事みたいね」
勇登はこの話題が嫌になって、話を変えた。
「そういえば、小学校の同級生からクラス会に誘われたんだ。4月からは進学や就職で地元離れる奴も多いから、最後に会っておこうって趣旨らしいけど、浜松遠いし、めんどくせーな」
勇登は小学4~6年を浜松で過ごした。3年間だけだったが、転校生ということで、よくしてもらえたのだ。クラス全員とにかく仲がよかったのを覚えてるし、転校後も付き合いのある友達が何人かいた。
「ふーん」
ナオは腕を組むと、立派な筋肉をした勇登の上半身をいちべつしていった。
「そうやって文句いいながらも行くんでしょ。勇登結構モテるしね。……ちょっと気になるあの子、とかいたりして」
「――!」
飲んでいたコーヒーが気管に入り、勇登は大きくむせた。
※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織、名称とは一切関係ありません。
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