第8章 (俺×オレ)+(ジョン×五郎) 限界の先にいた仲間 8-6
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滝つぼに落ちた勇登と亜希央は、少し流されたところで岸に這い上がった。
「おい、大丈夫か?」
そういう勇登に、亜希央は呼吸を整えながら答えた。
「ああ……」
亜希央は、立ち上げろうとした。
「いっ!」
すぐに口を押えた。足から脳にかけて稲妻のように痛みが走った。
「見せてみろ」
勇登は亜希央の足の状態を見た。
「とりあえず、骨は大丈夫そうだな」
そういうと、勇登は亜希央に背中を向けてしゃがんだ。
「ほら」
「……」
動こうとしない亜希央に、勇登は小さく息をつくといった。
「俺が助けたいんだ。これは俺のエゴだ。助けさせてくれ」
「助けられてばっかだな」
亜希央はそういうと、しぶしぶ勇登の広い背中に乗った。
「おまっ、めっちゃ軽いな」
「……うるさいっ」
亜希央は勇登の背中を、拳の先でぐりぐりした。
亜希央をおぶった勇登は、道なき道を進んでいた。
――せめて自分が怪我をしなければ……。
そんな考えが亜希央の頭に浮かんでいた。
「マジ最悪、ほんと消えたい。こんな足手まといがメディックになりたいとか、ほんと馬鹿」
「そんなこというなって」
救助されてる自分が許せず、亜希央は黙った。
暫くして、勇登が沈黙を破った。
「そういえばお前、なんでいつも男っぽくしてるんだ?」
亜希央は再び沈黙した。その質問を無視することもできた。けど、ここまで醜態を晒して、なんかもういっか、とも思えた。最近は色んなことが辛くなってきてもう限界な気がしていた。
亜希央は上を向いて「ふう」というと、静かな口調で話しはじめた。
「あきおって名前、男みたいだろ。父親が男の子欲しくて、どうしても譲れなくてそうしたんだって。母親がせめて漢字は女の子らしくって、工夫してくれたんだ。親父の口癖は、俺は男の子が欲しかった、だった。だから、子どものころは親父に喜んでもらいたくて男の子になろうとしてた。でも、中学生になったとき、弟が生まれて……。そしたら、ピタッといわなくなった。その瞬間、オレはいらない子になった。……親父なんて大嫌いだ」
亜希央は最後は低い声でボソッといった。
「それからは、父親譲りの頑固なオレが急に女の子になれるはずもなくて、この格好や態度がまるで自分の意志であったかのように振舞った。本当はスカートや、長い髪に憧れてた時期もあったんだ。でもそんなの今更怖すぎるだろ。だから、高校卒業後は整備士の専門学校に行って、自衛隊入って、救難教育隊の整備にきてメディックに出会った。そのとき思ったんだ。もし、あの中に入れれば、こんな自分でも認められるんじゃないかって……。『救いたい』なんて、後でとって付けた理由だよ。……本当は父親を見返したかっただけ」
亜希央は小さな声でいった。
ずり落ちてきた亜希央を、勇登は軽くジャンプして元の位置に戻してくれた。
それまで黙って話をきいていた勇登が口を開いた。
「……お前、いい子なんだな。それも親父さんのこと大好きな」
亜希央は身を逸らすと「はあ?なんだそれ?話きいてたか?」といって勇登の背中をグーで思い切り叩いた。
勇登はその攻撃を無視していった。
「だって、嫌いな奴の期待に応える必要なんてないだろ。好きなんだよ。大好きだから悲しませたくないし、期待にも応えたい。愛情があるからこそ、我慢しちゃうんだよ」
「……」
「子どもの頃って、けっこう親の心わかっちゃうんだよな。俺も母親が悲しむのは嫌だったし、いつも笑っててほしかった。だからお前の気持ちわかるよ」
勇登は肩越しに亜希央を見るとそういった。
「はじめの動機なんてなんでもいい。お前が今実際に頑張ってることのが大切なんじゃね」
「でも、自己中だと思う」
「自己中な奴は手足縛ってプールに飛び込んだりしないよ。お前はすでに人を救ってる。心は立派な救難員だよ」
「なんだそれ」
亜希央は呆れた声でいった。
「心の救難員。なんかかっけー。俺、いいこというな」
勇登は得意げに笑ってみせた。
「男女平等っていうけど、なんでも同じってわけにはいかないと思う。なんていうのかな、あんま男とか女とかこだわらずに、それぞれができることしたらいいんじゃないかな。俺お前がやったようなことできないし。だから、お前みたいなやつが必要なんだって思うし。上手くいえないけど」
亜希央は先ほど攻撃してしまった場所を、勇登に気づかれないようにそっとさすった。
「これまでずっと悩んできたんだろ。もう父親の人生歩くの辞めて、そろそろ自分のために生きればいいさ。今度は他の誰かのためじゃなくて、自分のために自分を変えたらいいんじゃね」
「……変われる、かな」
「おう、当然だ。もっと自信持て」
亜希央は返事をする代わりに、勇登の頭をこつんと打った。
声を出したら、泣きそうだった。でも、急に弟をかわいがる父の姿や、救難員の試験に落ちたことやら、いろんな出来事が思い出されて止められなくなった。
――男の子がいなくて寂しそうな親父を助けたかった。
子どものくせに本気でそう思っていたことを急に思い出した。
自分が男らしくして親父が笑うと嬉しかった。でも弟が生まれてからはすべてが変わってしまった。
彼は簡単に親父を笑顔にできた。自分にはそれができなかった。
どんなに頑張ってもできなかった。
怒りに変わる前にあった消化しきれていない沢山の悲しみが、一気に溢れ出てきて、気づいたら声を上げて泣いていた。
女々しいと思われないように、泣くことさえもずっとずっと我慢してきた。泣いてしまったら、これまで頑なに守ってきたものが崩れ落ちて、すべてが終わってしまう気がした。
それでも、全てを吐き出すように泣いた。
亜希央の泣き声に森の木々もザワザワと答えた。
「それでいいんだよ」
勇登はそう呟いたが、それが亜希央の耳に届いたかどうかはわからなかった。
月明りを頼りに、勇登は黙々と坂を登った。
今日は不意打ちの3泊目で、死にそうに疲れていて、もう動けないと思っていた。けれども、助けるべき命が目の前にあるだけで、人はこんなにも動ける。
背中の亜希央から体温と鼓動、彼女の感情が伝わってきた。
――人ってあったかいんだな。
人形では感じることのなかった血の巡りを直に感じた。
勇登はこれまではどこか漠然としていた「人を救う」ということの意味が、少しだけわかった気がした。
※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織、名称とは一切関係ありません。