第8章 (俺×オレ)+(ジョン×五郎) 限界の先にいた仲間 8-2
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「もうやめちまえ!」
「やめません!」
行楽の秋には、決して相応しいとはいえない熱い会話が、山中に響き続けていた。
勇登たち学生は、山岳実習のため岐阜県の山中にいた。山岳実習ではあらゆる状況や現場を想定して、山中に墜落した航空機の捜索、UH60-Jでのピックアップなどを実施する。
山岳実習も2日目に入り、連日の捜索活動で勇登の体はぼろぼろだった。重い装具を背負い、コンパスと歩測で遭難現場を見極めながら、道なき道を登ってゆく。要救助者発見後は、60㎏の要救助者に見立てた人形を背負いながら、険しい山を更に登り、ヘリでのピックアップポイントを目指す。当然、ヘリはいつまでも待っていてなどくれないし、遅れれば要救助者の命が危険にさらされる。
目標時間が迫っている――。
うっそうとして、じめっとした森の中では、学生たちの荒い息づかいさえもかき消す、教官たちの罵声だけが響いていた。
吉海が足を滑らせた。
「できないなら、帰れ!」
道前正則が叫んだ。
極度の疲労からに違いなかった。これまでどんなにつらい訓練も乗り越えてきた吉海が、そのまま止まってしまった。
勇登は額の汗を手の甲で拭った。無理もなかった。
9月、それでも気温は連日30度を超す日が続いていた。山中の急な斜面、背中に背負った大人一人分の重さの人形。
それに吉海は自分が一番若くて体力あるからといって、率先して大変な役を引き受けることが多かった。
立ち上がれない吉海に正則がいった。
「おいおい、どうしたんだ?ついに、やめる気になったか?」
「やめません!」
「じゃあ立てよ。ほら!つらいのはてめーじゃねぇんだよ。背中の要救助者だ!」
正則は吉海の気持ちを知ってか知らずか、檄を飛ばし続けた。
はじめは抵抗していた吉海も遂に黙ってしまった。
バディのジョンは面倒くさそうに吉海を見た。
正則が座り込んでしまった吉海に近づくと、静かな声でいった。
「お前、背中に背負ってるのは、本物の人じゃなくて、人形だと思ってんだろ」
「……ち、がいます」
かすれた声で吉海がいった。
「いや、思ってんだよ!」
正則は吉海の顔を覗き込むと声を荒げた。
ついには、吉海は両手をついて真っすぐに地面を見た。吉海の顔から落ちた水滴が、乾いた土を濡らした。
剣山が叫んだ。
「おい、吉海、顔を上げて俺を見ろ!」
吉海は涙を流しながら首を振った。
「吉海、行くぞ!」
「負けんな!」
宗次、勇登も懸命に励ました。
これまでずっと、テストされてきたようなものだった。
――お前はそれでもやりたいのか、と。
ここでリタイアしたらすべてが終わってしまう。皆それをわかっていた。
剣山は今日一番の声で叫んだ。
「お前がいなくなったら、写真はどうなるんだよ!お前が卒業まで撮り続けましょうっていったんだぞ!」
その言葉に吉海はハッとした。
「頑張れ吉海!こういう辛さは、後で絶対、あの時頑張ってよかった、って思えるから!」
剣山が声を振り絞った。
吉海は両手で一気に涙を拭くと、ゆっくりと立ち上がった。
その瞬間、五郎が小さな声でぽつりといった。
「青戸のバディの声がきこえなかったなぁ」
ジョンがハッとして、五郎を見た。
「沢井士長、腕立て用意!」
五郎はジョンに腕立て伏せを命じた。
山の斜面でジョンは体を地面に這わすように腕立て伏せをはじめた。五郎が思い出したようにいった。
「ああ、連帯責任だったな」
五郎は他の四人にも、腕立て伏せを命じた。
勇登は心の中で悲鳴をあげた。
喉はからから、疲労のピークはとっくに過ぎていた。気合いだけで動いていた中での、あまりにも理不尽な仕打ち。
全員が必死に腕立てをする中、汗を滴らせながら腕立てをするジョンに五郎が静かにきいた。
「お前は誰かに強制されてここにきたんか?」
「いえ、……自分で選んできました」
ジョンはガラガラの声で答えた。
五郎は学生を見回しながら声を張った。
「そうだ、俺は一度もお前らにメディックになってくれと頼んだことはない。お前らは全員、自らの意思でここにいる」
五郎は吐き捨てるように、それでいて凄みのある声で続けた。
「やらされてる気になってんじゃねーぞ」
――そう、誰も強制などされていない、みな自分の意志でここにいる。
でも、いつのまにか、そんなことも忘れていた。
受かりたくてどうしようもなくて試験で緊張したことも、結果発表までのドキドキと不安、合格をきいたときの喜び、そういったものが勇登の心に再び浮かんだ。訓練の過酷さに心が屈してしまっていた。
五郎の言葉は初心を思い出させると同時に、心に深く刻まれた。
この日、勇登たちはピックアップ予定時間に遅れ、要救助者をヘリで搬送することはできなかった。
※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織、名称とは一切関係ありません。