第1章 俺×由良 夢のカケラ 1-6
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――困った。
勇登はここ数日で本当に気づいてしまっていた。
今でも本気でメディックになりたいということに。そのことを考えると、なれたときの妄想が止まらなくなるし、気がつけばいつもそのことばかり考えている。それは誰かに恋をしたときのような感覚に似ていた。
はじめて『メディックになりたい』と思ったときの感覚が、みるみる蘇ってきている。
そして、同時に迷ってもいた。
自分が本当にやりたいことはわかった。
けれども、母にどう伝えればいいのか。
今メディックになりたいといい出したら、母はどう思うだろう。
反対するかもしれない。泣かせてしまうかもしれない。その仕事で自分の夫が死んでいるのだから――。
勇登は勉強もせずパソコンを見ながら、そんなことばかり考えていた。いつもは頼りになるネットだが、この問題の答えはネットのどこを探しても書いてなかった。
――きっと、答えは俺自身が出さなきゃならないんだ。
勇登は意を決して、発信履歴から志島由良の名前を探した。
「はい、はーい」
「あ、勇登だけど」
「あんたからかけてくるなんて珍しいわね。それも二度も。どうしたの?」
「ええと。……俺、大学受験やめて、他にやりたいことあるんだけど」
「……ふーん。初耳ね」
「でも、なんていうか、その、うーん。難しいっていうの?」
いざとなると、どもってしまう自分がいた。
「うん、難しい。それで何をしたいの?」
由良はどんどん核心に迫ってくる。
「えー、まぁ、そっち方面に行くと色々心配かけるだろうし……」
「うん、心配。……だから、なに?結論からいいなさいよ」
はじめは優しかった由良の口調が、苛立ちを帯びはじめた。昔からせっかちなのだ。彼女が怒り出す前に勇登はいってしまおうと思った。しかし、由良がせきを切ったように話しはじめた。
「あたしが思うに、勇登、あんた覚悟できてないわね。覚悟決まった人間は、どうしたらそうなれるかばっか考えるのに忙しくて、いい訳なんてしないものなの。それで、あんたはどうしたいのよ?もう一回整理して、結論出してから電話しなさい!」
そうまくしたてると、由良は一方的に電話を切った。
「……俺は母さんを気遣ってんの。なんでわかんないかなぁ。息子の気持ちが!?自分の子どもの話をゆっくり最後まできくとか、そういうことできないの!?」
勇登は感じた憤りを携帯に向かってぶつけたが、その叫びは、空しく空を切った。
ただ、そばにいたニャーがこちらをじっと見ていた。勇登は近くにあった猫じゃらしをニャーの前で揺らした。しかし、彼女はぷいと横を向いて、部屋を出ていってしまった。
「お前もかよ。女はみんな冷たいな」
勇登は由良の机に突っ伏した。
時々、由良は母でなく、まるで上官のようだと思うときがあった。彼女には敢えて困難に突き進んでいく前向きさ、そして、それを乗り越える強さがあった。それでいて、明るく気さくな人柄は周囲を明るくした。彼女の周りはいつも笑顔が絶えなかった。
由良が結婚した当時は、仕事を辞めてしまう人が多かったという。けれども、彼女は仕事を続け、父が死んだ後も自衛官として、勇登を育て上げた。勇登はそんな母のことを尊敬していた。
普段は完璧に仕事をこなし、制服を着ているときの母は一分の隙もないように見えた。けれども、なんの前触れもなく見せる人間臭い弱さが、この人を助けたい、いや、助けなければと思わせた。
勇登は机に置いてあった雑誌のF-15の写真を、猫じゃらしでくすぐった。
――そういえば、美夏はいい訳じみたこと、一つもいってなかったな。
何としてでもなってやるって感じだった。
どうしたらもっとパイロットに近づけるかを考えて、実行してた。
でも、俺は彼女とは環境が違う。
父さんのことがあって、それで、母さんの気持ちも考えなきゃならない。
無敵だと思ってた母さんは、無敵じゃなかった。
母さんが泣く姿なんて二度と見たくない。だから、俺は夢を封印したんだ。母さんを守るために。迷うのは当然だ。
どうすればいいか、もうわからない――。
※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織、名称とは一切関係ありません。